いやはや、蒸し暑いですね。刻一刻と迫る本番ということも相まって、汗が止まりません。
いや、言い過ぎました。
どうも、本多です。キッコロとモリゾーだと圧倒的にモリゾーよりの容貌です。
それはさておき。
今回ある場面で転校生の役を担っている私なのですが。
父は仕事の都合で、山梨→新潟→長野→茨城→山形→静岡といった具合に数年毎に渡り歩くという中で、家族はそれには伴わず、単身赴任だったのですが。
小学生の頃は夏休みとなりますと、母と私と弟で父が現地で暮らす平屋一階建ての借家を訪ねて、夏のあいだだけ4人家族、みたいな感じで過ごしてました。
新潟に赴いていた頃は特に地域とかのつながりもなかったのですが、その次の赴任地である長野県飯田市に行っていたときは、地元の同世代の少年たちが声をかけてくれたことをきっかけに一緒に遊んでくれるようになり、朝のラジオ体操に参加させてもらうようになり。ただ、もちろんのことながら彼らが小学校のプールに行くのを横目にまた兄弟ふたりで遊んでいたのですが。
ここからの展開が、まあなんというか今考えればよくそんな発想になるよな、すげぇよな、と思うのですが。
翌年、夏休み前に母が僕らが通う小学校の校長に直談判しまして、長野で暮らすときの学区の小学校の校長宛に、夏休みで滞在してる間、いわゆる夏休みのプールに参加させてほしい、という要望をしたためてもらい。
そしてその願いを快く受け入れてくれたおかげで、2シーズン目からは仲良くなった近所の子らがいないときすら、平気な顔で通ってもない土地のプールを満喫してました。
学年もバラバラで、泳げない子らの面倒は先生が見ていたものの、あとは基本自由に水遊びしていたような記憶があります。
明らかに水着と水泳帽の違う兄弟とおぼしき二人を、別段わざわざその度に紹介したりということもなかったと思うので、なんとなく同じ時間を過ごしていた子らの中には、あれ?そういえばあの二人いないな、そもそも本当にいたのかな?なんて具合にちょっとした都市伝説の萌芽となったりして。
あるいは古き良きジュブナイルSF的な。
転校生にはなったことはないけど転校生的なものだった、そんな夏の思い出はある、そんな私です。
それでは、このへんで、同い年であることをお伝えすると、のけぞる角度が多少異なれど、鉄板で驚愕していただける、ひーこさんにバトンタッチしたいと思います。
ちなみにこれを読んでいただいている方全員の来週金、土、日のラッキープレイスは大阪市中央区の周防町あたりです!
ではまた!